㈲サン自然薬研究所設立までの軌跡


 19643月、東京農工大学を卒業後、大正製薬株式会社に入社し、研究部、薬理研究室の配属となった。ここで、藤平栄一博士(その後退職し、北海道薬科大学教授となった)の下で、抗炎症剤の開発研究に従事し、国内では最初にラットアジュバント関節炎をリュウマチ性関節炎モデルとして利用して、抗炎症剤「オパイリン」(フルフェナミン酸アルミニュウム)の開発基礎研究を行い、日本薬学会にて発表した。このアジュバント関節炎の発症機序研究のために、ウサギ抗ラットリンパ球血清、抗白血球血清を作成した。それぞれの抗血清はラットリンパ球、白血球(好中球)に特異的に作用し、ラットに静脈内投与されると特異的に血中の細胞は減少する事を明かにした。

 

 残念ながら、この時点で大正製薬㈱を退職して日清製粉株式会社、中央研究所、生物研究室に勤務する事となった。日清製粉では、抗炎症剤の開発手法を応用して、ビタミンA酸誘導体、ビタミンA酸ビタミンEエステルに創傷治癒促進作用のある事を明かにして、「オルセノン軟膏」が開発された。日清製粉在職時の19774月~19786月まで、ニュージーランド、オークランド大学に留学した。細胞生物学科で、免疫細胞学を担当していたJohn Marbrook(抗体産生をin vitroで調べる方法を開発し、「マーブルックの方法」として知られている研究者) 研究室で細胞傷害性リンパ球のin vitroでの誘導に関する研究に従事した。インフルエンザ・ウイルス感染細胞に対応する細胞傷害性リンパ球(CTL)のクローンの存在について調べ、また誘導されたCTLの抗原性を異にするインフルエンザ・ウイルス感染細胞、非感染細胞に対する細胞障害活性の特異性等について検討し、1978年のNatureに発表した。この様な研究経歴から自身の研究分野は炎症から免疫へと変化した。

 

 帰国後、インターフェロン誘導剤に関する研究を行い、ウイルス感染に対する予防剤としての可能性に関して検討を加えた。1980年代に入って、インターフェロン誘導剤の開発研究は結構華やかな時代を迎えており、和漢薬の中でもこの様な作用を持つものが知られ、特に甘草にかなり強い誘導能のある事が明かにされた。この様な研究を通じて漢方薬の予防医学的見地からの利用は今後考えられるべきものとの認識から、漢方薬の免疫学的作用に関心を持ち、19849月、株式会社津村順天堂に入社し、当時の津村薬理研究所、免疫薬理研究室を担当する事になった。津村薬理研究室で補剤、十全大補湯を中心に免疫薬理学的活性について研究を実施した。

 

 1984年に津村薬理研究所、免疫薬理研究室に勤務以来、十全大補湯の免疫薬理学的活性についての研究を実施し、その活性を明かにして来た。その他、葛根湯、大建中湯、麻黄附子細辛湯、茵蔯蒿湯、黄蓮解毒湯、小清竜湯、桔梗湯、芍薬甘草湯など、漢方薬の中でよく使われる処方の薬理学的研究を実施、指導して、学術雑誌に論文を多数報告してきた。

私と研究を共にした研究員の多くは漢方薬の薬効薬理研究を通じて得られた研究成績を基にして薬学博士、医学博士の学位が授与されている。

この様な実績から、漢方薬の研究を通じてその効果を科学的に検証し、後輩、学生の指導、教育に当たる事が出きた。

株式会社ツムラを退職後、健康食品関連の会社にてアガリクス、レイシなどのキノコ研究に従事した。

 

その後、サン自然薬研究所を設立し、科学的根拠に基づいた新規な健康補助食品の開発を手掛けて、今日に至っている。